
「DayArt」27号特集「追悼 林聖子」
その日から20年が経った。僕にとって、第二の青春は風紋そのもので、林聖子さんがいなければ確実に、今の僕はいない。ほぼすべての人脈が聖子さんを起点としているから。
思い出はたくさんありすぎる。一緒に青森に行ったし、上田に行ったし、桜桃忌も行った。マージャンもやったし、競馬もやったし。一緒に講演にも出たし。とにかくお世話になった。
初めて風紋を訪れてから奇しくも10年後、僕は再び聖子さんにインタビューすることになる。『風紋五十年』を作るためだ。この本は風紋の開店50年を記念して、パブリック・ブレインから出させてもらった。

「山本さんがまとめてくれる?」ということで、僕の聞き書きとなった。インタビューはトータル20時間くらいか。今でも音声は残っている。
インタビューの最終日、お店は聖子さんと僕だけだった。僕は、どうしても聞いておきたいことがあった。ひと通り話を聞き、これははっきりと書かないから、と前置きして尋ねた。
「聖子さんのお母さんは、太宰のこと好きだったんですか」
聖子さんは僕の視線から逃れ、虚空を眺めた。ぼんやりと橙の灯が揺れ、時は60年前へと戻ってゆく。
「そうね……母は太宰さんを好きだったと思う」
聖子さんと目が合った。今度は、僕が逸らした。ずっと見ていたら、涙が零れそうになったから。
それで十分だった。当時20歳前の聖子さんは娘ながらも、母の心境を正確に察していたことだろう。父・倭衛と離婚し、まだ気持ちが父にあると気づいていながらも、太宰への気持ちも汲んでいた。人間観察が鋭い聖子さんの推測は、僕は当たっていると思う。太宰は晩年、洋画家の元妻に夢中だ、という話を井伏鱒二も耳にしていたという。

「DayArt」の編集長自らが取材・体験し、執筆しています。