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第2回「食って寝て本を読む日々」(山﨑修平)

某月某日

久しく神保町へ行かなくなってしまったことに気づいた。今般の災禍は、街を漫(そぞ)ろに歩くということを少なくしてしまったのだろう。神保町の古書店街はまさに漫ろに歩くところで、何店舗もゆっくりと回るのは、さながら知識の畑を耕しにゆく趣があった。点から点へ目的地に向かって移動することは、業務や約束といったものが付き纏う。一本の線でありたい。それがたとえ迂遠な営為だとしても偶然なにかを見つけ出す愉しさを感じていたい。

神保町の喫茶店「ラドリオ」は、ウインナーコーヒー発祥の地らしい。この店には一つの思い出があって、詩人の田中さとみさん、マーサ・ナカムラさんと『ZUIKO』という詩誌を立ち上げた際、最初に打ち合わせた場所なのだ。ウインナーコーヒーも良いのだけれど、今回は涼やかなクリームソーダをセレクト。クリームソーダというのは示唆に満ちた飲み物で、バニラアイスの処遇をどうするかに毎回頭を悩ませる。ソーダの部分を飲む前にあらかたバニラアイスを食べてしまう「アイス優先派」、ソーダを先に飲んだあとに溶け残っているアイスを食べる「ソーダ優先派」、ソーダを飲みながらアイスもスプーンで掬って食べる「混合派」に分かれる。席を共にする人がどの派に属するのか観察するのが愉しい。

某月某日

神奈川近代文学館にて催された「生誕110年 吉田健一展 文學の樂み」に行った。優れた翻訳家であり文芸評論家、そして小説家である吉田健一の文業に接することができ、感激した。翻訳とは批評であるという吉田健一の姿勢に見習い、「翻訳」という語句を他の言葉に置き換える試みをしてみたい。喩えば「詩」。「詩とは批評である」とすることができるか。或いは「書くこと」。「書くことは批評である」としてみる。

吉田健一展

港の見える丘公園に行くと、いつも必ず港が一望できるところの写真を撮る。横浜へは一年に一度は行くから、定点観測をした横浜が年毎に携帯電話のフォルダに収められてゆく。十年前の横浜も「横浜」であり、今年の横浜も「横浜」である。なにを今更という感じではあるが、しかしながら一つとして同じ横浜はない。その日の天気、貨物船のコンテナ、公園を行き交う人、当然毎回異なるわけであって、記憶を叙述してゆくことと、記録を元に叙述してゆくことの差異について考える。この連載はどちらかというとエッセイとして書かれているわけだけれど、写真を何葉か差し込んでもらっている。作者というフィルターを介さない写真という事実の面白さを感じながら誌面において共存しているといったところだろうか。

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