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小説「汚点」南田偵一

消耗品と言われ、筆を真っ二つに折ろうとした。裂ける。自分の未練を見せつけられたようで、嫌だった。あ、あたし絵、描けない。描きたくない。

乳首を茶色く描いてきたのはウケる。みんな頷いている。知らないくせに、ほんとの色を。セクハラだよ、あんなの。だって顔は莉子そっくりじゃん。坂下教授に言ってみようよ。緑子ちゃんは顔はと言った。乳首の色は知らない、緑子ちゃんも。知っているのはあたしと桑元君だけ。

芸術祭の二ヶ月前に付き合った恋人たちは、卒業まではもつ。そっからは知らない。うちの美大の伝説は、あっけない。そんなものに縛られてたまるか。意地でも四十九日で別れてやった。二回だけセックスした。絵の具を体全身に塗りたいって言うから、許してやった。前のカレシは生クリームを塗ってきたよ。言ってやったら、嫉妬された。乳首を噛まれた、思いきり。

ピンクの絵の具が切れていたから、赤と白を足せばいい。いや、あたし元々ピンクだし。桑元君は笑った。茶色に塗ったら怒る? 怒るわけない。風呂場の鏡に映したら、悪くなかった。なんかかっこよかった。男知ってますって感じで。ほんとは二人しか知らない。

別れる理由が必然性を持つ前に、別れたかった。別れたい気持ちより前を駆けていたい。桑元君にはわからない。誰にもわからない。

十日で仕上げた《かっこいい女》と命名された作品は、桑元君が描いた中で一番いい。題名もいい。芸術祭が終わったら復縁してあげてもいい。

あたしが描いた絵は、抽象画。なんにも頭に浮かんでこなかった。絵の具を片っ端からキャンバスにぶつけて、《globe》ってタイトルをつけただけ。誰も、いい、と言ってくれない。世の中そんなに甘くない。

緑子から聞いたぞ。あれ、おまえがモデルなんだってな。坂下教授の目が、あたしの胸元で留まる。はい、そうです。いいえ、違います。桑元君に聞いてください。知りません。なんにも答えてやらない。笑って通り過ぎる。おまえの絵、よくないぞ。しっかり聞こえた。わかってる。自分が一番。

あ、利用されたんだ。あ、負けたんだ、桑元君に。あたしに振られるくらい、なんでもない。人生の汚点にもならない。汚点って、どんな色をしているんだろう。あ、もっと早くに思いつきたかった。《汚点》ってタイトルの絵を描きたかった。

桑元君はちゃっかり失恋によって、いい作品を生み出してしまった。あたしはバネにされちゃった。乳首が茶色だってバラされて。ダレトク? あたしは損? 桑元君は得? あたしとやれたし。そっちは得にも損にもならないか。乳首が茶色いかっこいい女って、誰か思ってくれたろうか。坂下教授はさっき勃起してただろうか。何人が桑元君の絵を見て、あたしを想って自慰してくれるだろうか。

ああ、やっぱり《汚点》って絵を描くべきだった。汚点の色は、白。白濁。タイムマシンに乗って二ヶ月前に戻りたい。今のあたしのまんまで。《汚点》って絵を描くつもりのあたし。桑元君とのたった二回のセックスで、コンドームから精子を取り出し絵の具に使う。《汚点》の白、白濁。

あ、おはよう。うん、元気。作品、評判だね。ううん、平気。気にしてないから。じゃあ、またね。

桑元君の前から颯爽と立ち去る。かっこいい女。桑元君はあたしの背を突き刺すように、じっと見ているはずだ。あの絵に負けぬ女でいないといけない。

来年まで待ってみようか。今、振り返ればあたしたちは復縁できる。桑元君は未練タラタラ。それとも、作品に未練を仮託しちゃったのか。描き上がったとき、どんな思いだったんだろう。もうあたしのことが遠くなっちゃったんだろうか。

あたしの抱えている未練は桑元君への。《汚点》への。あたしの《汚点》は未完。この思いつきを、違う男の精子で描いてみたところで、まったくおんなじになるんだったら、今年提出したつまらない抽象画と変わらない。来年違う男の精子で《汚点》と題して提出すればいいだけの話。つまらない。あたしの着想なんて、そんなもの。

あたしの汚点は何色なんだろうか。やっぱり白濁なんかじゃない。あ、桑元君にやられてしまった。あたしの汚点って、茶色い乳首じゃないか。二つの汚点、茶色い乳首。それらも包含して桑元君はあの絵を創ってしまったんだ。

もう一度観に行こう。かっこいいあたしを。汚点のあたしを。あ、来年、あたしは真っ裸になって展示室に立ってやろう。あたしの汚点はピンク色。

(了)

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