「DayArt」28号特集「三毛猫ノワ脱走の6日間」ロングバージョン
ノワは僕らの喧嘩を見ていた
その後も、ノワは彼女なりに心を寄せ始めてくれた。むしろ甘えん坊になったのかもしれない。ノワはどちらかというと、僕の方により懐いた。僕が眠っているとき、トイレに入っているとき、ノワは構ってよ、と鳴く。シャーシャーは一切なくなり、にゃーと甘えた声を出す。体の不調もなく順調に暮らしていた。
コロナ禍により、自宅と職場を一緒にしようと引っ越すことになったのが2022年に入ってすぐだった。長らく住んだ世田谷を離れ、練馬へと移る。
自身の都合とはいえ、僕は世田谷から離れるのが不安だった。世田谷に住んで8年近い。その間、僕の人生において比較的、凪の時間だった。それが乱れるのではないか。僕は感傷的になっていた。
準備もだいぶ終わった引っ越し2日前のことだ。些細なことで妻と喧嘩した。妻は、世田谷から引っ越したくないと言う。僕のせいだった。僕が練馬への引っ越しをネガティブに言うものだから、妻にもうつってしまったのだ。そのうち話題は“子”の話になった。僕らは人間の“子”を産むことを、人生の選択肢から消していた。これも僕のわがままだ。妻はぐっと自身の感情を飲み込み、葛藤と戦っていた。それが時折、暴発する。
ノワは僕らの側でやりとりを聞いていたが、異変を察したのだろう。すっと違う部屋へと消えていった。
引っ越し当日は朝9時に業者が来ることになっていた。ノワは普段なかなかキャリーケースに入ってくれないのだが、もうノワを抱くことができていたのでギリギリで大丈夫だろうと踏んだ。それがいけなかった。ノワはケースに入らず、次第に警戒し始めた。低い声で鳴くようになり怖がっている。
業者は来てしまった。すでに脱走防止用の扉は外してある。ノワを隅に追い詰めたときだった。ノワはするすると小走りで荷物をよけていき、階下へ向かった。
「あーダメ!」
妻が絶叫をあげる。
ノワがとことこ階段を下りる背を、妻は見た。そして、ノワは作業中、開放していた玄関を潜ってしまった。僕らが素足で外に向かったときには、ノワの姿はなかった。
「DayArt」の編集長自らが取材・体験し、執筆しています。