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小説「曲がったにおい」南田偵一

曹操ゆう奴は、世の中に苦手、があることを知らない。あいつ自体苦手だ。だいいち馬が臭い。
鼻がいい。親に褒められることなんぞ、ついぞなく、唯一、褒めのカケラ、みたいなもんを放ってくれたのは、あんた、鼻曲がっちょるだろ、だから、鼻が利くんや、ゆう母ちゃんの言葉だった。

幼い頃、隣の楊さんちのおばちゃんが、蒸した黒い万頭くれた。普段はケチなくせに、どんなもんか思ったら、吐いてしもうた。きたねえ子だ、もう二度となんもやらん、ゆう。もう一度、涙目こらえて万頭を鼻に持ってったら、遠くの方から、昨日食った乾燥芋の黄色が込みあげてくる。濃い、甘さ。甘いもんは好きだけど、万頭から、甘さ、の大将みたいなにおいがした。何でも度が過ぎるのはよくない。
食えんから母ちゃんに、楊さんから、と渡してやったら、半分食って、あんたも食え、ゆう。いらん。食え。なんで食えゆうんだと問い詰めたら、食ったら一食浮くやろ。こんな黒い腐ったもん食えん。なにゆう、こりゃ黒糖だ。珍しいもん練りこんであるから甘いんよ。さっきの甘さがぶり返してきて、また、うえっ、てなった。
食い跡のある万頭奪って、外出て行った。ぐっと握っているうちに、みるみる万頭が小さくなってゆく。手汗で甘味が溶けだしたのか、べちゃべちゃねちょねちょする。丸めてみたら、どす黒い泥団子みたいなった。モンシロチョウみたいに粉々なってくれたらええのに。さらさらで、水っ気ない。
河原行って放ってやった。石ころ放ったときとおんなじ、ぽっちゃん。掌舐めたら、代わりに背筋舐められた気がした。吐く、何も出ないが、吐いた。岸で手そそいだら水がひゃっこかった。澄んだ水面に掌から虹が生まれた。この虹の父ちゃんも母ちゃんも、この掌だ。

曹操が、随分張り切ってる。足がくたくただし喉がからからだ。よりによって甘くさい万頭を思い出すと思わんかった。
隣の奴はぶっ倒れそうだが、手なんか貸してやるものか。便所行っても手ぇ洗わん。足が臭い。腹減った、喉渇いた、なんてみんな思ってること、いちいちゆうな。
おい、あの先に梅林があるぞ。もう少しの辛抱だ。
曹操が咆哮する。誰とも目を合わさん。遠く、遥か先を見据えて、剣を差し出す。
こいつ、嘘ゆうとる。母ちゃんがゆっとった。嘘つく奴は人様の目ぇ見ん、と。神さん祈るんときも、目ぇ瞑るんは、やましい心があるからやって。やましさない奴は、ちゃんと目ぇひん剥いて神さんに願うもんや。あんな手も叩かんと、神さんは聞いとるって。
周りの輩どもがざわめいた。瀕死のざわめきは、最期の命の蝋燭、ふっとやれば消える。隣の奴の喉が鳴った。メエエエゆう。山羊みたいな奴だ。
どうせ嘘つくんなら気の利いたことゆえ、っちゅうんだ。梅なんか好かんし食うたことない。酸っぱいにおいは、黒糖の万頭と一緒。度が強すぎる。
何を思えば、渇きを堪えられるのか。
曹操よ、おまえは何でもできる思ってるかもしらんが、甘い万頭、酸っぱい梅食えんもんもおる。唾なんか一滴も湧いてこん。渇きを忘れる、なんかうまいもん、ゆうてみろ。走って、取りに行ってやる。人間の首で潤せるんなら一番乗りしてやる。えばってやる。
曲がった鼻柱が、ピン、伸びる。
なんのにおいも、人間の血、においもやってこん。まだ戦は、だいぶ先の話。

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