山﨑修平 小説『テーゲベックのきれいな香り』特別インタビュー
7章で構成されている本作の舞台は、2028年の東京が中心です。
今も昔も東京はスクラップ・アンド・ビルドです。飯倉片町交差点周辺(本書100ページに「麻布我善坊谷(がぜんぼうだに)」について言及されている)も再開発が行われています。私の中学、高校時代、よく歩いた街の光景がなくなってしまっている。先ほどの虚構の話ではないですが、私の記憶さえあたかも虚構のようになってしまう。ただ、東京という街は存在しています。すると、疑うべくは自分になってくるわけです。自分の言葉、あるいは感情すら虚構ではないのか。
東京でも銀座は比較的残っている方です。自分が生まれる前からある銀座、過去に行った銀座、現在の銀座、未来の銀座、定点観測ではないですが、様々な自分が語りかけてくる。私にとって銀座は地層のような場所です。私は都電が走っていた頃の銀座は観ていません。しかし、書くことによって在る。最終的には言葉、書かれたものだけが残っていくのだと思います。
一方で、小説内で「H」という地名が登場します。「中国地方のあるH市」(本書113ページ)としてありますから、想像がつく方もいるでしょう。小説内の「わたし」も書き手の私自身も、実際にHに取材しています。書き手の私の方の記憶が生々しすぎるのと、対象が近すぎるので、ここはあえて「H」としました。具体的な都市名で書いたら、何かが崩れるのではないかという怖さがありました。
会話文も大変印象的でした。
ありがとうございます。わかり合えないことをただ書いたとしても、冗長なだけだと思います。例えば、「おはようメアリー」「あら、ナンシーおはよう」といったのは会話文とはならないわけです。会話によって、何かしらの内的変化をもたらしたり、または、もたらさないものを示していく。会話というのはおもしろくもあり、難しくもあるところです。
実際に聞いたままを書いても会話文にはなりません。会話する登場人物すべてが「わたし」であって「わたし」ではない。そういう要素は含まれています。
「DayArt」の編集長自らが取材・体験し、執筆しています。