桜桃忌前に太宰治のゆかりの街・三鷹を訪問
■太宰と鴎外だけじゃない禅林寺
6月19日は毎年、太宰の生誕日、そして遺体が揚がった日でもあり、三鷹の禅林寺では桜桃忌が行われる。この模様は取材後、紙版「DayArt」25号にも載せる。
いつでも行ける距離にあるのだが、三鷹に行くときはいつも気持ちが逸る。特に6月はソワソワしてしまう。心も少し湿る。
禅林寺は太宰と森鴎外のお墓があることで有名だ。毎年桜桃忌の記事を書くとき、言及していることがある。禅林寺には、かつての文壇バー「風紋」の林聖子さんのお母さん・秋田富子さんのお墓もあるのだ。
林さん曰く、富子さんが亡くなった際、たまたま禅林寺の墓地に空きがあり、お墓を建てることができたのだという。1948(昭和23)年のことだ。太宰も鴎外がいると緊張するだろうが、富子さんがいれば気分も休まるだろう。
■まずは南へ南へ
ということで、桜桃忌前夜祭気分で三鷹を回る。
三鷹駅というのは、完全に分断されている。太宰関連でいえば、ほぼ南口側である。主に南口は三鷹市、北口は武蔵野市なのだ。攻めるのは南口となる。
太宰スポットを回るとき注意したいのは、最大の目的地の禅林寺は駅から、軽く遠いということだ。試してないけどスキップで15分。徒歩20分くらい。駅前のバス乗り場で、三鷹市役所方面のバスに乗り、「八幡前」停留所で降りれば楽ではある。
禅林寺に行ったあとは、太宰ファンならば、古本カフェ「フォスフォレッセンス」に行くことが多い。こちらの店主・駄場みゆきさんも生粋の太宰ファン。三鷹でお店を開きたくてわざわざ上京された。「フォスフォレッセンス」は太宰の短編小説のタイトルだ。
フォスフォレッセンスは、禅林寺からさらに南に行く。三鷹市役所や警察署、図書館に近い。そのため、遠いところから攻めるなら、まずフォスフォレッセンスまでバスで一挙に行ってしまい、三鷹駅に戻るバスに乗って禅林寺に寄るのもいい。ちなみにフォスフォレッセンスから禅林寺まで歩くのは少し遠い(今回は時間の都合で寄っていない)。
■駅前も太宰スポットてんこ盛り
三鷹駅に戻ったら、今度は玉川上水沿いを歩く。1948年6月13日、太宰はここに山崎富栄と共に入水した。今では面影はない。鬱蒼とする樹木が、ここには近寄るな、と言っている気がする。
僕はミレイの《オフィーリア》が最も好きな絵画なのだが、なんだかじっと見ているとオフィーリアが流れてきそう。
駅近に戻ったら、太宰スポットが3箇所ある。太宰治文学サロン、太宰治展示室 三鷹の此の小さい家(三鷹市美術ギャラリー内)、JR中央線の跨線橋だ。
太宰治文学サロンは太宰の資料展などを定期的に開催し、ボランティアの方がいろいろ解説してくれる。三鷹の太宰スポット初心者の方は、ここに立ち寄ってから行動する方がいいかもしれない。いろいろ教えてくれるし、丁寧なマップもある。
その姉妹店みたいな役割を太宰治展示室が果たす。こちらは昨年オープンした。太宰が住んでいた家を復元している。
跨線橋は書いたのでそちらの記事をどうぞ。その後の取材はコロナの影響で自粛した。よって「DayArt」25号での扱いは小さくし、桜桃忌メインとする。
■桜桃忌は主催者がいない
最後に桜桃忌について、少し触れておく。現在、桜桃忌や生誕祭は太宰のゆかりの街で様々開催されている。
ただ、誤解している方が多いが、禅林寺の桜桃忌に主催者はいない。三鷹市は直接の関わりもない。禅林寺のご厚意により、ファンが集うことを黙認してもらっている。
太宰の墓の周囲を汚したりすれば、片付けるのは禅林寺の方々だ。僕は以前主催者を設けた方がいいのではないか、と「DayArt」で提案した。周囲の賛同は多かったが、これに関しては一筋縄ではいかない事情がある。もちろん僕もそれは知っている。
なので、桜桃忌にいらっしゃる方は、誰かの善意や厚意によって、桜桃忌が長年続いていることを知ってほしい。そうでなければ、いくらファンが多いからと言っても続かない。この桜桃忌は1949(昭和24)年より始まっている。その桜桃忌に参加した唯一の生存者は、今となっては林聖子さんだけとなった。
桜桃忌は例年、ゲリラ豪雨に襲われる。稀に晴天になることもあるけれど、禅林寺まで歩く際はドリンクを持参した方がいい。日陰が少ないので熱射病になる可能性がある。ご注意あれ!
「DayArt」の編集長自らが取材・体験し、執筆しています。