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第4回「食って寝て本を読む日々」(山﨑修平)

某月某日

〈今年中〉という約束の原稿を、どうにか大晦日に提出した。一昔前の借金取りではないが、除夜の鐘を聞きながら目を血走らせて原稿を書くというのは、非日常が過ぎる。それにしても、時間の流れというのはシームレスなのに、どうしてぼくたちは、年内とか月内という括りにこだわっているのだろう。いや、もちろん出版社や編集者は、定められた期日の枠内で動いているからなのだけど、そういうことを言いたいのではなくて、十二月三十一日二十三時五十九分五十九秒までに書かないと「いけない」、年を越してはならぬ、という切迫感は、一体どこから湧いてくるのだろうか。『走れメロス』のことを少し考えて、新年を迎える。

某月某日

能登での大地震。十一月に、「陰毛と能登湾のこと忘れるな今朝級長は欠席ですか」という歌を作ったばかりだった。この歌が未来短歌会の「未来」に掲載されるのは、おそらく二月号。読者のなかには、大地震の報を受けて作ったと考える人もいるだろう。すると、歴史的事実が、テクストの解釈を幾通りも生み出してゆくということになるかもしれない。作者としての「正解」というものがあれば、また変わってくるのだろうけれど、この歌に関しては、正解はない。北陸の方にお見舞いメールを送るとき、口の中が乾燥してざらついていることに気づく。

某月某日

詩の書き出しを姿の見えない老人に教わるという初夢を観る。これはこの連載のためのフィクションではなく、本当に詩の書き出しを教わるという夢だった。ぼくは、書き出しというのは「切り開く」ものだと思うということを伝えると、その姿の見えない老人は、「詩の書き出しは、あるべきところにあるべきものを置く」ことだと言う。シュルレアリスムのデペイズマンの在り方のちょうど正反対のようなことを言うものだから、ハッとして、言葉を受け取ったのだった。この老人は誰なのだろう。田村隆一や鮎川信夫でしたというなら、出来過ぎているし、未来のぼくというのもなんだかなと思う。老人は一人の老人だったということで。

某月某日

引っ越しをすることにした。新居選びから、引っ越し業者、電気ガス水道の開栓・閉栓手続きと、まあ、こんなにすることあったかなと思う。これまでと異なる環境に変化することは愉しみしかなく、運動会前夜のような興奮と喜びの綯い交ぜになった感情のまま半月ほどを過ごしている。それぞれの業者の、初めて会話する人とのやり取りは愉しく、相手の話したいこと、会話の癖、視線の動かし方、その全てをつぶさに観察している。書く、というより生きる、ことのヒントがあった。

世田谷代田駅前から富士山を観る

某月某日

法政大学江戸東京研究センター主催イベントのため下北沢へ。建築家の方の下北沢再開発のあらましレクチャーを含めた街歩きのあと、建築家、表象文化論、の先生方とぼくのクロストーク、最後に即興で作った詩の朗読という、お腹いっぱいの企画だった。四元康祐さんのポエトリーリーディングでも即興の詩を作ったけれど、即興の詩というのは、場に曳かれてゆく面白さがある。自分の凝り固まった思考を他者という場に蹂躙されてゆくことによって、生み出される詩のあり方も良いと、思い始めた。ちょうどカフカの没後百年ということで、不条理について考えていた。別役実のそれとは異なるものだけれど、近代化された社会の、つまり言葉によって隅々まで名付けられ明かされていると「されている」社会における、理に適わない人間の行動に、むしろ人間を強く感じる。

(続)


山﨑修平(やまざき・しゅうへい)

1984年東京都生まれ、詩人・文芸評論家。2013年より短歌と詩を発表し始める。2016年に第1詩集『ロックンロールは死んだらしいよ』(思潮社)を刊行、2020年に第2詩集『ダンスする食う寝る』(思潮社)を刊行し、第31回歴程新鋭賞を受賞。2022年12月、小説デビュー作『テーゲベックのきれいな香り』(河出書房新社)を刊行。

Twitter@ShuheiYamazaki

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